私の “Why English?”

それは

自分は結構イケてるんじゃないかと思っている時に、「ハイ、残念。あなたはそれだけの人です」という目に2度ほどあったからです。

1度目は高校2年時に留学をした時です。留学準備期間として高校1年を日本にあるアメリカンスクールで過ごしました。数学や理科、体育の科目を初めて英語で学ぶのです。とても楽しくて面白かったので一生懸命勉強しました。当時の校長先生に「この学校絶対いいから!!」という進学校に2年生として編入できたものの、まったく何が起きているのかわかりませんでした。「元」成績優秀な「元」生徒会長様は一気に「美術とESL(第二か国語としての英語)以外はストレートD生徒」になりました。「違うの。私はできない生徒じゃないんです。ただあなたの言っていることが分からなくて、どうやって伝えたいことを英語で説明するのが分からないだけなんです。」これだけを伝えるためだけに、分厚い辞書と徹夜をくりかえし、かわいそうな私の両親は毎月10万円以上の国際電話料金を払って私の泣き言を聴き、これまたかわいそうな先生方は、「わかりません」としか言えなくて、どこが分からないのかな?という問いにも嗚咽でしか回答できないこの留学生のために放課後補習のために残ってくれました。

でも、不思議なもので、そうやって毎日戦っているうちに、私は先生方がこれ以上シンプルにかみ砕いて説明するの無理!!というものを聞き取ることと質問をすることを覚え始めました。教科書の英語を訳して、自分の日本語を英語翻訳するという脳内作業が中断し始め、英語が少しづつ意味があるものとして身体に浸透し始めたとき、「なんか、人って英語が話せないと”できない人”って認識されちゃうんだな。なんかそれって、いい気分じゃないな」と思い、大学で教育学を学ぶことにしました。無事に高校卒業できたかって?ハイ! 卒業して、ちゃんと大学に進学できました。

2度目は私がアメリカの客船で働くことになった時です。当時私は某英会話学校で講師をしており、TOEICのスコアも満点は取れなかったけどそれに近いものはありました。電話面接の時に面接官にどう映ったのかはわかりませんが、私はカレッジなる研修を受けずにそのまま本番で任務に就くことになりました。「いや、英語で問題になるはずないでしょ。」とタカをくくった私は6か月分の荷物をスーツケースに入れ、マイアミに飛びました。ここまで説明すれば皆様もその後の私の「ぎゃふん」が想像できると思います。確かに私は英語を話せました。「教科書」どおりに。でも、現実はそれの通りには行かず、問い合わせ、質問、苦情は色々なアクセントやスピードで私の「教科書英語」を狂わせました。何度「君じゃ通じない。マネージャーを出せ」と言われたことかわかりません。            

そこで私は徹底的に同僚や先輩の観察をして真似をしまくりました。私という個人にピッタリとハマるものもあれば、なんかコレ私じゃないな、というのもありました。英語そのものの基本は変わりませんが、ちょっと言い回しを変える、一言付け加えるだけでお客様や部署内外の反応がやわらかくなっていったのと同時にコミュニケーションが円滑になり、仕事とは言えど、とても楽しい経験をすることができました。私を含め、乗務員は130以上の国から来ていたので社内語である英語を通じてお国柄や文化なども学べ、私の「教科書通り」の英語は少しグローバルなものになりました。

なんだかポイントがずれているかもしれません。でもこれが私が英語を勉強した理由です。「私はできない子じゃありません」というのを証明したかっただけかもしれません。でも、これらの私の「ぎゃふん」経験で、少しでも誰かの「ぎゃふん」が軽減されればいいなと思います。だって本当に言いたいことを伝えるということは母国語でも難しい。それに「ぎゃふん」って一人で言って悩むより、誰かといっしょに考えて解決策を見つけるほうがよっぽど楽しいと私は思います。       

加えて、伝えたい気持ちに「自分」という個性を付け足すと、それをステキだなという人たちが現れて、その気持ちをあなたに伝えます。くすぐったいかもしれないかもしれないですが、ちょっと嬉しくなると思います。同時に、あなたが「あなたのそういうところステキだと思う」って伝えると、やっぱり相手もちょっと嬉しくなります。これだけで、今日この地球で少なくとも二人はうれしい気持ちでそのひと時を過ごすことができます。                   

小さなことと思われるかもしれませんが、それが私の「したいコト」なんです。頭がお花畑じゃないかって?いえいえ、どうやってもっとお花を増やしていこうか考えているところです。つまり、この学校はそんなところなんです。